時折、あるピアノの先生のブログを訪問しています(はてなブログではないです)。
私よりもずっと年配のその先生は、何十年と続けた指導法を、ロシアメソッドに出会い、ガラッと変えた方です。
これはなかなか出来ることではないと思います。
何十年と続けた自分のやり方をいきなり変えるなんて、プライドが邪魔して出来ない人の方が多いからです。
それだけ、ロシアメソッドはその先生にとって衝撃的だったようです。
ロシアメソッドで学んだ子どもたちの音が、日本の、幼いうちから譜読みをどんどんやらされ、難しい曲を弾きこなす子どもたちよりもずっと、素晴しいものだったからです。
大変勉強熱心な先生であることがブログから伝わってきますし、子どもたちにピアノの本当に美しい音を伝えるために苦心し、試行錯誤しているのがわかります。
前置きが長くなりましたが、その先生の記事に、いつぞやこんな内容のことが書いてありました。
「私たちピアノ指導者は、生徒や保護者の要望に応えるばかりではなく、ピアノを弾くことの本質を伝えることもまた必要だ」と。
これには大変共感しました。
全くその通りだと思ったのです。
いろいろな事情や考えがあると思いますが、生徒や親御さん方の要望に応えてばかりでいると、ピアノを弾くうえで本当に大切なことが失われてしまいがちです。
そういったレッスンになりがちなのです。
せっかく習いに来てくれているから楽しく弾いてほしい、楽しいレッスンを提供したいという気持ちはわかりますし、私もそう思っています。
ですが、あまり「楽しい」や「楽しく」ばかりを追求していると、音をよく聴かなかったり、指を動かすことばかりに気をとられてしまったり。。
ピアノを弾くことは、現代のスピードを求める時代の流れと逆行していて、一朝一夕にはいきません。
耳も、ピアノを弾くための手を育てることも、楽譜から音楽を読み取る力も、どれも「すぐに」はいきません。
もし「すぐに」をピアノのレッスンに求めてしまったら、自分が出している音をよく聴かない耳、音楽ではなく音符を追うだけの読譜力、本当に必要な支えのない手で指ばかりを動かしている弾き方、、、など、そのような状態でピアノを弾いてしまうことになってしまいます。
それならそれで、「楽しい」瞬間はあるのかもしれません。
でも、生徒さんの感性や感受性が鋭い場合、いつかは必ず、そのような弾き方では「自分の音」が出せないと、ピアノから離れてしまうでしょう。
音楽をやることの本質、ピアノを弾くことの本質、教育の本質とは何かを、常に問い続け、学び続け、試行錯誤を繰り返すこと。
私たちピアノ指導者には、それが求められているのだと思います。