音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

憧れを捨てる

私たちは、残念ながら自分以外のものにはなれません。

 

どんなに誰かや何かに対してを憧れを抱いて頑張って努力しても、

最終的には「自分以外にはなれないのだ」と分かるときが来ます。

 

その時は愕然としてしまうかもしれないし、淡々と受け容れられるかもしれません。

 

 

それはピアノでも同じです。

 

 

どんなに「あのピアニストのような演奏ができたらなぁ」とか、習っている先生のような音が出せたら、とか思ってもです。

 

なぜなら、ピアノは、弾いている人の内側にあるものしか表に出すことができないからです。

 

もうこれは本当にそうなんです。

 

 

私も、わりと最近まで「あのピアニストのような音が出せたら」なんてずっと思っていました。その境地に少しでもいいから近づきたいと思っていました。

 

でも、一人の人間として自分以外のものにはなれない、自分という人間として生きることしか出来ないのだとわかったとき、ピアノでもそうなんだろう、と思ったのです。

 

 

それならば、今まで抱いていた憧れを捨てて、自分なりの音、自分しか出せない響きを探していこうと思うようになりました。

 

正直、それがどんな響きをもった音なのか、私の中で明確なイメージはまだありません。

でも、それを探求し続けることはなんだか面白そうだし、新たなピアノとの向き合い方が出来そうだと、ワクワクしています。

 

 

今年のWBCの決勝直前に、大谷翔平選手が「憧れるのをやめましょう」と言いましたが、本当に大事なことですね。名言です。

 

 

ピアノでも野球でも、とういうか生きるということはそういうことなのかもしません。

 

 

憧れの演奏や音があって、それに向かって努力することは決して無駄ではないと思うし、そういう時期があっても良いのかも知れません。

でも、最終的には、弾く人自身が自分の内側と向き合って、それを音にしていくことが大事です。

 

何度も書きますが、ピアノは、ピアノを弾いているあなたの内側を表現するものです。

というかそうなんです。どうしたってそうなってしまうんです。

技術が上がれば上がるほど、その人の内側が如実に表われてしまうんです。

上達すればするほど、その人の、音楽や音、作品に対する感性(センス)が、わかってしまうんです。

 

 

 

どんなに先生の言う通りに弾いても、また、憧れの演奏をマネしても、やはりそれは真似事でしかなく、あくまで表面的なものだし、「あなたの演奏」ではないんです。

本当にそれでいいのでしょうか??

 

 

 

趣味でも専門的に学んでいても、どんな段階にいても、悩みはなくなりません。

周りを見渡せば、上手い人はたくさんいます。きりがありません。

どんな段階にいても、自分自身の未熟さ、至らなさと向き合いながらみんなピアノを弾いています。

プロのピアニストだってそうです。

 

 

だから、憧れを捨てて、自分自身(の内側)と向き合うこと。

ただただ、自分と向き合うことを続けることです。