音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

自分を受け容れていない人たち

世の中のほとんどの大人が、自分で自分を受け容れるということが出来ていないために、子どもたちが犠牲になってしまっています。

 

これがどれほど罪深いことか、わかりますか?

 

自分で自分のすべてを受け容れていれば、自分以外の誰かから「愛されたい」「褒められたい」「認めてもらいたい」なんてことは思わなくなります。

 

でも、それが出来ていないから、頑張って外側に求めて、褒められよう、認めてもらおう、愛されようとしてしまっています。

 

もし、世の中の人が自分で自分を受け容れていれば、日本を含めた世界の人口はこんなにも増えていないと思います。(←ここ、よく考えてみてくださいね)

こんなにも必要以上のモノにあふれていないと思います。飽食の時代なんてなかったと思います。

 

でも、現実はそうではないのです。

人々が「もっともっと」と外側に求めた結果です。

だから、自分で自分を受け容れていない人がほとんどだと、言っているのです。

 

 

生きるうえで本当に大切なことが何かわかっていない人が多すぎます。

子どもたちはそれを教えてくれているのに、大人がキャッチしていないからこんなことになるんです。

 

 

 

日本人って、年齢を気にする人、すごく多いですよね。

「もう○○歳だから・・・」とか「○○歳だけど挑戦!」とか。。

なぜそんなに年齢を気にするんでしょうか??

想像はできます。でも、年齢を気にする人が多いのが不思議なんですよね、個人的に。。

これも、自分を受け容れていないことのあらわれです。

 

 

それから、誕生日や記念日(結婚記念日とか)、会社や学校なんかだと「創立○○周年」とかも。

特に女性は記念日を大事にしている人圧倒的に多いですよね。

男性は記念日に無頓着な人が多くて、忘れていて相手の女性とケンカ、なんてよく聞くしあるあるみたいですが、この点は男性の方が正しい感覚を持っていると思います。

 

誕生日もそうですが、本当に自分で自分を受け容れていれば、そういったことがいかにくだらないかわかるようになります。

誕生日や記念日、祝わなくてもどうってことないです。本当に。

自分で自分を受け容れている人なら、誕生日や記念日なんかはちっとも大切じゃないとわかります。

 

あとは、クリスマスですね。。

これね、昔から思っていたんですが、キリスト教徒が少ないこの日本で、なぜクリスマスを祝ったりパーティーするんでしょうか??

 

私はキリスト教圏の国で2年連続、いわゆる本場のクリスマスというのを体験したのですが、日本との違いに驚いた記憶があります。

長くなるのであまり詳しくは書かないですが、キリスト教徒じゃない家庭の人が「うちにはクリスマスはない。だから何もしない」という言い方していたことから、なんとなくわかるでしょうか。

 

当時師事していたドイツ人の先生もおっしゃっていたのですが、やはりキリスト教徒の人から見ると、日本のクリスマスはかなり珍妙、おかしいと思われているのは確かです。

そりゃそうです。クリスチャンでもないのに「メリー(ハッピー)クリスマス!」なんて言ってバカ騒ぎしているのですから。

(海外のクリスマスは、非常に静かで厳かです)

 

そもそも、キリスト教邪教とわかった今では、クリスマスなんてこの世からなくなってしまえばいいのに、と本気で思っています。

キリスト教関連だと、ハロウィンとかバレンタイン、イースターなんかも同様です。

 

 

みんな、心の中が不安で仕方がないから、何かしら付加価値をつけたいんだと思います。

それが、誕生日や記念日、(クリスチャンでもないのに)クリスマスを祝ったりすることにつながっています。

 

世の中の人が「本当の愛」が何か心の底からわかるようになれば、上記に書いたことはしなくなります。

(わかっていない人があまりに多いから、みんなしている、ということです汗)

 

もっとシンプルな世の中になります。

そして、当然ですが生きやすい世の中になります。

 

今回書いたこと以外にも、人々が「本当の愛」が何かわかっていないがために手を出してしまっていること、まだまだたくさんありますよ。

 

 

今回の記事を読んでピンと来なかった人、「本当の愛」が何か、わかっていないです。

断言できます。

また、ここ最近投稿している記事を読んでモヤッとした人、落ち込んだ人も同じです。

そういう人が親になったらどうなるか、想像してください。

 

 

子どもたちのためにも、本当によくよく考えてください。