日本の年末といえば、そのひとつにベートーヴェンの第九がありますね。
コロナ禍以降は多少自粛したり、その後もいろいろと工夫をして、第九の演奏会も再び開かれるようになってきているようです。
私は中学2年から高校3年までの5年間、コーラス部に所属していました。
そのコーラス部の合唱指導をしてくれていた先生が、学外でプロの声楽家として活動されていた関係で、「すみだ5000人の第九」という演奏会に3回出演した経験があります。
合唱団はほぼ全員アマチュア、ソリストやオーケストラ、指揮者は国内で著名なプロの演奏家や楽団の特別編成、そして会場は両国の国技館と、今思っても大変贅沢な経験でした。(指揮は大友直人さんでした)
毎年2月に開催され、その数ヶ月前から練習を開始。
初めて参加したのが中2のときだったのですが、初めてのドイツ語の歌詞と、難しい音程に苦戦したことを覚えています。
当時使っていた楽譜は今でも大事に取ってあり、見返してみると歌詞にカタカナがしっかり書いてあって、必死さが伝わってくる(笑)
指導のI先生は、シラーが書いたこの詩の内容と素晴らしさを一生懸命教えてくださったのですが、私の方はとにかく覚えるのに必死で、先生の講義をまったく覚えていないという・・(先生、ごめんなさい・・)
ベートーヴェンは合唱部分を器楽的に作曲していて、音程が声楽向けではないところがあり、覚えにくいし歌いにくいしで大変でした。。
ゲネプロや本番前は、毎日放課後に先輩たちと自主練をしていたり。
アットホームな部だったので、先輩後輩みんな仲が良くて、大好きな部活でした。
ベートーヴェンの第九は、合唱は4楽章だけの出演なので、多くの場合、3楽章が終わると合唱員がぞろぞろと舞台に出る、というパターンなのですが、なにせ5000人です。
全員が入場し終わるのを待っていたら時間がかかってしまいます。
なので、この「5000人の第九」では合唱員は初めから着席。
オケの演奏を聴いています。そして、4楽章に入ってとあるフレーズが演奏されると一斉に全員立ち上がる、というものでした。
今でも、第九のそのフレーズを聴くと、なんだか立ち上がりたくなってしまいます。
(ほぼ無意識に。笑)
そのフレーズのところ↓「Presto」からのところです。
楽譜はオケパートがピアノ版のもの。
初めての第九はとにかく緊張したことを覚えています。
5000人の中の一人だし、客席からは顔は見えません。(見えても豆粒)
でも、ちゃんと歌えるのかと不安だったのです。
本番はとにかくついていくのに必至で、気がついたらあっという間に終わってしまった、という感じでしたが、曲の本当に最後のクライマックスのとあるフレーズのところにきたら、感動で胸がいっぱいになって、涙がこみ上げてきて声が出なくなってしまいました。
それはほんの一瞬の出来事でしたが、音楽の素晴らしさをまさに全身で感じた瞬間でした。
「あぁ、なんて音楽って素晴しいんだろう・・・!」
その後も中3と高2のときに参加し、楽しかったけどあそこまでの感動はありませんでした。
ffと書かれているところからがたまらなく感動的です。歌うとよりその素晴らしさがわかります。↓
詩にカタカナがふってありますね・・
ちなみにパートはアルトでした。
今なら、ドイツ語の歌詞も発音もそして音程も、内容を理解しながら当時よりも良い発音や音程感で歌えると思います。
でも、だからといってあのような感動的な体験ができるかどうかはわかりません。
ちょっと話が逸れますが、ピアノを教える立場になって思うのは、こういった心が震えるほどの感動体験を1回でもいいから経験することは、楽器の上達よりもはるかに大事なことなのではないか、ということ。
これは音楽に限らないことだと思いますが、人は人生の中で言葉にならないほどの感動体験をするかしないかで、人生の質といいますか、何かが違ってくるような気がするのです。
この、第九を歌った経験は、今でも私の音楽人生の礎となっています。
あのような経験はなかなか出来なく、本当に貴重なものでした。
何もわからないことばかりで必至だったからこそ、経験できたことのなのかもしれません。
第九はいつかまた、機会があれば歌ってみたいですね。
当時指導をしてくださったI先生とは、今でも交流が続いています。
声楽とピアノで専門は違えど、私の音楽の大先輩であり恩師であることは間違いありません。
I先生は、昔こんな言葉を私にくれました。
「音楽の道は長く厳しいものです。だからこそ、まずは根の部分を時間をかけて育てていってください。」と。
いつもたくさんの良き出会いに恵まれ、本当に幸せな音楽人生を歩んでいると感謝しています。