音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

繊細な感覚

ピアノで音色や美しい響きを求めるようになってから、この楽器はなんて繊細なんだと思うようになりました。

 

何年も前、自分の先生がブログで、「ピアノを熟れたトマトや絹ごし豆腐だと思って弾くように」と書かれていたのですが、その言葉の意味がようやくわかってきたところです。

 

柔らかくベールをまとった響きを出せるようにと、日々PP(ピアニッシモ)で、とにかくゆっくり弾く練習をしています。

響き重視、優先なので、テンポ良く進まないし、かなり辿々しいしリズムも崩壊しているんですが、とにかく音をよく聴きながらなのでどうしてもそうなってしまいます。

 

で、「お!これはイイ感じかも?!」(ただしあくまで自分の感覚で)というような響きが出せたときというのは、からだの内側が非常にリラックスしているし、指先も手の内側も鋭敏な感覚です。

 

これは、いわゆる「指弾き」で弾くときとはまったく違う感覚です。

指は確かに使うのですが、指先の感覚は非常に繊細さを必要とするし、手の平の内側がかなり大事なのです。

言語化するのが私の語彙力では難しく、そこは申し訳ないのですが、響きを感じられるようになると、手の平の内側を意識せずにはいられないのです。

 

そしてびっくりするくらい、楽です。

非常に楽で省エネルギーで弾くことが出来ます。

ガツガツと、あるいは「頑張って」弾く必要はないんだなとわかります。

 

繊細で楽な感覚を、常に維持できるレベルではまだない私は、まだまだ気が遠くなりそうなのですが、とにかく弾き手に繊細さを必要とするのは間違いなさそうです。

 

耳もそうですね。

 

基音だけ聴いているときよりも、もっと繊細な聴き方が必要です。

基音の外側にある倍音をたどっていくのですから、当然なのでしょう。

(そもそも、音って目に見えないし。。)

 

 

私は、従来の弾き方のほうが年数的に圧倒的に長く、今の奏法のほうは「ようやく小学校低学年になった」くらいの年数です。

 

だからどうしても、つい気が抜けると(?)、よろしくない音で弾いてしまうんです、未だに。。

 

 

先生から言われたことがすぐにわかることはあまりなく、数ヶ月後とか、数年経って「あれはこういうことか」とわかることのほうが多いです。

ようやくわかったぞ!と思ってもまた戻ってしまうことなんてしょっちゅうだし、一進一退の繰り返しです。

 

今回書いた「繊細さ」については、以前よりも理解がより深まって、防備録も兼ねて書きました。

 

ピアノは、鍵盤を押せば誰でも(ネコでも)音が簡単に出る(出てしまう)けど、

美しい響きをまとった音色というのはそう簡単に出せるものじゃないんだな、と改めて思ったのでした。

 

 

このことは何度も書いていますが、何年もかけて耳と手を育てることが本当に大事です。

即効性を求めて安易にリズム練習を取り入れたり、指の独立を目指すと、美しい音色とはかけ離れた、音楽的でない音で弾き続けてしまいます。

 

ピアノは簡単に音が出てしまうからこそ、音に対する繊細な感覚を、時間をかけて育てていく必要があるのだと思います。

 

そして、それを担うのが私たちピアノ指導者です。

先生自身が学び続け、音楽やピアノをやることの本質とは何かを問い続けることです。

それを生徒さんたちにレッスンを通して伝えること。

 

今の世の中は洗脳だらけです。

多くの人が「良い」と言っているからといって、それが「本物」とはかぎりません。

むしろそうでない場合が圧倒的に多い。でもそのことに気づいていない人もまた多いですね。世の中のほとんどの人がそうなのではないでしょうか。

 

残念ながら、ピアノ教育の世界でも、洗脳されていることがまだまだ多いと感じています。

先生ご自身がその洗脳に気づいていないのだから、習いに来る生徒さんたちにも伝わらないのは当然で、それが質の良くないレッスンが多々行われていることにつながっているのだと思います。

 

洗脳とニセモノだらけの今の世の中で、何が本物で本質的なのか。

 

それがわかる人がひとりでも多く増えてくれるといいなと思っています。

 

最後はちょっと脱線してしまったけど、大事なことなので書きました。