音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

ファッションモデルとピアニストの共通点

以前、林修先生の「林先生の初耳学」という番組が好きで毎週のように見ていました。

その中で、今もあるのかわからないですが(見なくなってもう何年か経つので)、タレントのアンミカさんがモデルの卵を育ててパリコレに出演させる、というコーナーを興味深く見ていました。

 

私はその昔、モデルの仕事の意義が全然よくわかりませんでした。(モデルの方、すみません。。)

服を着て、歩いているだけで(すみません)、「これで仕事??」なんて思っていたのです。(・・・)

 

でも、アンミカさんのモデル育成の様子を見て、ようやくモデルの仕事の意義を知ることが出来たのです。

 

 

モデルは、服を美しく見せるのが仕事なのだと。

 

その服を理解し、どのように着こなしたらその服が美しく見えるか。

だから「自分」はいらない、と。

 

これを知ったとき、「あ~、ピアノと同じだ」と思いました。

 

 

あるピアニストの方が、これも何年か前にツイッター上でつぶやいていたのを覚えているのですが、その人は

 

自分というものを限りなくゼロにしていくのが最終的には目指すところ

 

とありました。

 

私自身も、「人が見えない演奏」が好きです。

 

音楽が優先されている演奏、というのでしょうか。

弾いている人のエゴを感じない演奏が好きです。

 

 

モデルも、ピアニストも、服か音楽かの違いがあるだけで、実は目指しているところは共通しているんですね。面白いなと思いました。

 

モデルさんは、自分がショーで着る服をよく理解しようと努めるのでしょう。

素材は何か、どう着ればこの服は美しく見え、見ている人に魅力が伝わるか。

 

ピアニストも同じです。

曲を理解し、その曲の音楽の素晴らしさを伝えることが仕事ですから。

 

私は、自分はピアニストではないから、その境地にいかなくてもいいんじゃないか、とずっと思っていました。趣味の部分を残しておきたかったし、そうじゃないと続かないと思っていたのです。

 

でも、最近は考えが少し変わってきました。

ピアニストではないけど、目指してみようかと思い始めています。

 

理由のひとつは、演奏が承認欲求になってしまってはいけない、と思うからです。

 

自分というものを認めて欲しいがためにピアノを弾くのは、何か違うなと思うのです。

人間ですから、時にはそのように間違ってしまうこともあるかもしれません。

でも、自分が好きな演奏を、自分で体現できるように目指してみようかなと。

 

舞台上で、自分というものを限りなくゼロにして、ただただ音楽だけがある演奏

 

いつか、その境地にたどり着けるよう、頑張ってみます。