音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

ショパンはショパンで

先日、ちょっと嬉しいことがありました。

とあるピアノブロガーさんのブログを偶然発見し、読んでいたら、

ツェルニーが弾けてもショパンは弾けないのでは??そもそもショパンツェルニーはなんだかベツモノのな気がする・・」といった内容のことを書かれていたんです。

 

そのブロガーさんは、40代になってからピアノを再開し、趣味で弾かれているようなのですが、いやはや何とも勘が鋭いですね!素晴しいです!!👏

 

 

 

そうなんです!まさにです!

ツェルニーショパンは別物で、ツェルニーが弾けてもショパンショパンの音楽として表現できるわけではないんです。

やっぱり、音楽に対して勘が良かったり感性が鋭い人は、大人も子どもも関係なく本質に気がつくんですね。

 

 

どなたの言葉かは忘れてしまいましたが、

ショパンにはショパンの語法がある」と言います。

ツェルニーのそれとは全く別で、ショパンショパンの音楽として表現するには、

ショパンを弾くこと、とも。

つまり、ショパンショパンで学べということです。

 

 

指が動くようになれば、強くなれば、独立すれば上達するのか?といったらそれはイコールではないですし、ショパンショパンの音楽として弾けるようになるわけではないんです。

もちろん、楽譜通り弾けていてもです。

 

 

このブロガーさんのように、音楽を専門的にやっていなくても本質に気がつく人は必ずいる。(むしろ専門的に学んだ人ほど気がついていない人が多いと感じています)

そういう方の存在が嬉しいと同時に、

ピアノを指導する側として、自分自身もやはり常に学び続けなければ、と身の引き締まる思いになりました。

 

学び続けて、自分が美しいと思うものやピアノにおける本質的なことを伝えることもまた、ピアノ指導の仕事のひとつでは思います。