難しい曲が弾けること、弾けるようになることは、素晴らしいことです。
ピアノは音の数が多いし、譜読みをするだけでも大変。
速いパッセージを鮮やかに弾いてしまう人の演奏に触れると、
「すごい!」と思いますよね。
私も、テクニック的に難しい曲が弾けることはやはり素晴らしいことだと思います。
でも。
それでも私は、難しい曲が弾けるようになることよりも、
自分が心から好きだと思う曲を弾けるようになりたいし、弾いていきたいです。
たとえその曲が、どんなに音の数が少なく易しい曲だとしても、
自分が心から美しいと感じる曲、誰がなんと言おうと自分が好きな曲を、
一音一音に心を込めて弾きたいと思います。
ひとつ一つの音を大事に弾いていきたいです。
ずいぶん前に、上野の東京文化会館の小ホールで、
ピアニストの宮沢明子さんの演奏を聴いたときのことがいまでも強く心に残っています。
その時弾かれたモーツアルトのピアノソナタ K.545 ハ長調の第2楽章。
第1楽章がとても有名で、ピアノを習う多くの人が弾く曲です。
ソナチネアルバムに載っていますね。
その2楽章が、「こんなに美しい曲だったの?」と思うくらい、
大変素晴らしい演奏でした。
宮沢さんが、ひとつ一つの音に心を込めて、愛情を込めて弾いているのが伝わってきて、涙が自然と流れたのを覚えています。
その後、自分でも弾いてみましたが、あんなふうには弾けなかったですね。。
テクニック的にはさほど難しい曲ではありませんが、
この曲がもつ美しさを表現するのは大変難しいと感じました。
それから、アンコールではなんとブルクミュラーの「天使の声」を演奏されたのです。
その時のこともはっきりと覚えていて、はじめは一瞬何の曲かわかりませんでした。
でもそれくらい素晴らしい、大人の鑑賞にふさわしい何ともふくよかな演奏でした。
この曲の新たな魅力を知った瞬間でもありました。
あれから何年も経っていますが、強い印象に残っている演奏です。
宮沢さんは昔、とある音楽雑誌にエッセイを連載されていて、
日本では数少ない、心ある演奏をされる方なのだろうと、
エッセイの内容から、当時まだ学生でしたが子ども心に思っていました。
「むやみに指を動かすことばかりしないこと」
「無理に大きな音で弾こうとしないこと。音が美しくないです」
「ひとつ一つの音をよく聴いて、心を込めて弾くこと」
「ピアノと会話するように、対話するように弾くこと」
こういった内容だったと記憶しています。
そしてそれは、私に強く影響を与えてくれたようで、
上記に書いたどれもが、
今でも私がピアノを弾くうえで大切にしていることばかりです。
たとえ子どもが弾くような易しい曲であっても、
そこに美しさを見いだし、心から好きだと思って弾く。
そういう音楽との向き合い方、ピアノとの向き合い方ができることは、
とても幸せなことだと思います。
そういうふうにピアノと向き合って弾いている子は、
あるひとつの幸せなピアノとの付き合い方をしていると思います。
それは、難しい曲が弾けるようになることよりも、大事なことではないでしょうか。
どんなに難しい曲が弾けるようになっても、
その曲を弾いているあなた自身が、
その曲の音楽を理解し、音楽を感じながら、また音をよく聴きながら弾いていなければ、
それはただ指が動いているだけのものになってしまいます。
ただの音の羅列になってしまいます。
それよりも、たとえ易しい曲であっても、たとえ音の数が少ない曲であっても、
自分が心から好きで美しいと感じる曲を弾くこと。。
誰がなんと言おうと、あなたが心から好きだと思う曲はなんですか?
ピアノが好きなあなたが、そういう曲と出会えますように。