音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

大人こそ「自己受容」を

こんにちは。

 

最近、集中的に取り組んでいることがあります。それはピアノとは関係なく、公にはできないのですが、そこから関連して思ったことを書きます。

 

「自己受容」については、私は何度かここで書いてきましたが、今、日本の多くの子どもたちの心が危ないと、やはり感じるのです。

 

それはつまり、現代のほとんどの大人たちが「自己受容」できていないことが関係しています。

 

 

こちらの記事で、「毒親」についてチラッと書きましたが、、

 

junkopiano.hateblo.jp

 

 

毒親」=自己受容出来ていない人です。

そしてさらに言えば、承認欲求が強い人です。

 

日本は承認欲求が強い人ばかりです。

つまり、毒親大国だということです。

 

・・・なんて、偉そうなことを書いていますが、何を隠そう、私も承認欲求が強い人間の1人です。

それはやはり、育った家庭環境が強く強く影響しています。

 

最近、ある信頼している人から、私の承認欲求の強さについて指摘されました。

自分でもそれなりにあると自覚していたので、「やっぱりか・・」と思ったのと同時に、「まだあったか・・・」とも(笑)。

今は、この承認欲求が弱くなるよう、日々自分と向き合っています。

 

 

 

 

 

自己受容が出来ていない人は、他者受容も出来ません。

それはつまり、他者を愛することができない、ということです。

自己受容=愛=他者受容だからです。

 

 

こんなにも自己受容できていない大人がほとんどです。

そのことに自分で気づいていない人ばかりです。

だから「自己肯定感」なんてものに走ってしまう人が多いのです。

「自己肯定感」なんて悪でしかないのに。。

間違っても、「子どもの自己肯定感を高めよう」なんて考えないでください。

(「子どもの自己肯定感を高めよう!」と謳った音楽教室はたくさんあります・・・)

 

 

自己受容できていない人が親になってしまったら、その子どももまた自己受容できないまま大人になってしまいます。

 

子どもたちは、「自分が傷ついているのだ」ということに気がついていません。

むしろ、大人(主に親)たちから認められようと、受け容れてもらおうと必至で頑張って生きています。

 

そのことにまた、多くの大人が気がついていません。

 

本当は皆、大人も子どももありのままで十分素晴しいのに。。

皆、すでに十分、素晴しいものを持っているのに。。

 

 

これはあくまで私の考えですが、親になっている人というのは、親になる必要があるから親になったのです。

子育てという作業を通して、子どもから「ありのままの自分で生きていていい」ということを学ぶために、子どもからそのことを「教えてもらう」ために親になったのです。

 

子どもたちに何かを「教えよう」としなくていいんです。

子どもたちはすでに、生きていくうえで最も大事なことを知っているのだから。

そのことを伝える術を持ち合わせていないだけなんです。

 

親子関係における子どもの役割とは、親の期待を「裏切ること」と、親に、人生におけるもっとも大事なことを「教える」こと。

 

同じく親の役割とは、子どもに「裏切られること」と、子どもに「謝ることで」です。

そう考えています。

 

 

親も未熟なひとりの人間です。

未熟だからこそ、たとえ悪気がなくても子どもを傷つけてしまいます。

(子どもを全く傷つけない親なんていません)

しかし、その傷が子どもの人生に多大な影響を与えるのもまた事実です。

そのことを「謝る」。

 

それができたら、親としての役割は十分果たしたことになります。

そして、子どもたちには思いっきり、私たち大人を裏切ってほしいです。

 

「大人の言うことを鵜呑みにしないで、イヤ、むしろ聞かないで、自分の頭で考えて自分がどうしたいかを一番に考えて行動するんだよ」と、以前から子どもたちに言っています。

 

 

大人の言うことを聞いてばかりいたら、その子は自分の人生を歩めないですから。

 

 

 

生きるということの本質を理解していない、理解しようとしていない大人に溢れた今の世の中で、子どもたちの自己受容を守るために、大人こそ自己受容を日々していってほしいです。

今の世の中は自己受容させないモノに溢れています

 

 

何度も書きますが、本当に、ほとんどの大人が本質的に生きていません。

 

 

大人が自己受容できていないと、子どもたちが本来持っている自己受容を守ることが出来ません。

 

だから、大人こそ自己受容が大事なのです。

 

親である人も、そうでない人も、子どもと関わる人もそうでない人もすべて、

自己受容の大事さを知り、日々自己受容していってください。

 

自己受容は、一生かけてし続けるものです。

一生かけてし続け、深めていくものです。

 

私はそう学びました。

私も、昨年までは自己受容なんて出来ていなく、「自己肯定感」にとらわれていました。でも、自己受容を知り、少しずつ自分を受容していったことで、ずいぶん生きやすくなりました。

 

わかったことのひとつは、生きやすくなるということは=良いことがばかりが起きる人生になる、ということではない、ということです。

 

今は不安定な世の中だから、多くの人が何かにすがり、何かを求め、祈ったり願ったり、祝ったり、あるいは期待したりしています。

「良いことが起きますように!」と。

 

でも、人生は思い通りにならないことの連続であり、良いこともそうでないことも起こるのが当たり前であり、そのひとつひとつの出来事とその時感じた自分の感情も受容することが大事なのだと、ようやくわかりました。

 

昔の人々(明治時代くらいまで)は、そんなふうに、毎日を「普通の日」として、地に足をつけて生きていたのだそうです。

(「誕生日」や「記念日」なんて存在していなかったのです。当然、バレンタインやクリスマスもです。)

 

 

私も、そんなふうに生きていきたいと思っています。

そして、日々自己受容を心がけ、これから先もそう生きていきますし、生きることの本質を学び続けていきたいと思っています。

 

 

 

厳しめなことを書きましたが、このままだと本当に子どもたちの心が危ないので書きました。

気づいてください。

なぜ私がこんなことを書いているのか、自分の頭で考えてください。

テレビとか見てる場合じゃないです。

(テレビは洗脳マシンです。テレビばっかり見ていたら、即、思考停止脳の一丁上がりです。まともなのは天気予報とスポーツくらいです)

 

 

 

頭を使う、という点は、ピアノと同じです。

ピアノは、頭で弾くものだからです。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。