音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

自己肯定感よりも大事なこと

またお久しぶりです。

今回は、ピアノのことと関係ないのですが、生徒と接していて思うことを書きます。

 

 

子どもというのは、養育者である親の影響を良くも悪くも非常に強く受けます。

 

昨今は自己肯定感本が増えたという印象です。

いつかの記事でも書きましたが、「自己肯定感を育てます」と謳った音楽教室、ピアノ教室も数多いです。

 

しかし、私の考えでは「自己肯定感」というのは足枷にしかならず、本を出しているとか関係なく「自己肯定感を高めよう」などと言っている人というのは間違いなく、心の奥底では自分のことを愛していないです。

 

その場合、おそらく自分でも気づいていないでしょう。

 

何故なら、本当の意味で自分のことを愛していれば、「自己肯定感を高めよう」などとは言わないからです。

 

 

 

自分に対しても他者に対しても「愛する」とはどういうことでしょうか?

 

それは、良いところも悪いところも、良いときもダメな時も、

どんな自分も相手も「受け容れる」ということです。

 

 

 

子どもたちは、そんな大事なことを思い出させてくれます。

 

ただただありのままで、存在そのものが愛しい、ということを。

弱さや未熟さ、欠点や汚いところがあっても、

良いところも素晴しいところもちゃんとある。

だからそれでいいんだと。

 

これまたどこかの記事で書いたかと思いますが、

子どもというのは、人生経験を積んでしまったがために大事なことを忘れてしまった私たち大人に、そのことを思い出させてくれるために存在しているのだと、私は思っています。

 

そして、子育てでも教育でも、子どもと関わるということは、

子どもたちからそういった大事なことを「教わる・学ぶ」ということです。

 

でも、何故か皆、子どもたちに「教えよう」としてしまいます。。。

そして、子どもが(自分の)思い通りに行動してくれないと、イライラしたり怒鳴ったりしてしまう。。

 

 

 

子どもたちは、生きていくうえで最も大事なことをもうすでに、知っていますし分かっています。

 

言葉で表現する術を持ち合わせていないだけで、自覚していないだけで、無意識の領域で分かっているのです。

 

でも、大人たちからいろいろなことを「教わってしまう」ために、そのことをだんだんと忘れてしまうのです。

 

 

私たち大人が子どもたちに出来ること、というのは実はとても少ないのではないかと、常々思っています。

 

では何が出来るかというと、それは子どもたちの自己受容を守るということです。

 

そのためには、大人が自己受容できていなくてはなりません。

自己受容と自己肯定感の違いを理解していなくてはなりません。

 

 

自己受容が出来ていなくては、他者を受容することはできません。

 

自己受容できていない、していない大人は、

子どもを受容できません。

 

だからイライラしたり怒鳴ったりしてしまうのです。

子どもに何かを期待してしまうのです。

(無意識に)子どもを使って、承認欲求を満たそうとしてしまうのです。

 

 

そんなことをしても、子どもたちの心に傷をつけるだけです。

 

 

子どもたちは本当に、繊細で柔らかい感性を持っています。

繊細で柔らかいから、傷つきやすいのです。

 

子どもと接する人は、そのことを知ってください。

たとえ自分の子どもであろうと、自分とは別の人間なのだと思って、接してください。

 

子どもは、(生きていくために)親の期待に応えようと頑張ってしまいます。

そしてそれが自分のやりたいことだと思ってしまっています。

大人になってもそれが染みついて、頑張り続けてしまいます。。

 

 

 

 

 

どうか、多くの人に自己受容について理解してほしいです。