音楽に寄せて 

街のピアノ講師が日々思っていることを綴ります

巨大なピアニッシモ 《パーヴェル・ネルセシアン ピアノリサイタル 2022》を聴いて

パーヴェル・ネルセシアン氏のピアノリサイタルを聴いてきました。

会場は、東京文化会館小ホール

f:id:junkopiano:20220330230404j:plain

 

東京公演のプログラム

 

シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 op.26

プーランク:ナゼルの夜会 FP84

~休憩~

ダンドリュー:おしゃべり

ラモー:鳥のさえずり

ダカン:カッコウ

クープラン:小さな風車

ダカン:ツバメ

クープラン:蝶々

ラモー:一つ目の巨人

シューマン:謝肉祭 op.9

 

f:id:junkopiano:20220330230432j:plain

アンコールまで抜かりのない演奏でした。

 

f:id:junkopiano:20220330230418j:plain

全席自由席。私は「音」重視で右側後方に座りました。

後になって、もう少し中央よりでも良かったかも?

 

 

 

例によってざっくりとした感想にはなりますが・・・、

とにかく素晴しく、何百、何千(?)という多彩な音色に圧倒されました。

 

響きの太さ(太いのか細いのか)、濃さ(濃いのか薄いのか)、

絶妙な離鍵、ペダリング

そして、響きの混ぜ方もどこまでも多彩。

そのどれもが一流です。

 

一音一音がただでさえ磨き抜かれた音なのに、さらに

様々な響きの織り交ぜ方、重ね方、そこから新たな響き(色)が生まれ、

それが次から次へと繰り出され。

特に、まるでベールのように、いやそれ以上に極薄の、

ほんの少し触れたら一瞬で壊れてしまいそうなくらい繊細なPP(ピアニッシモ)に

涙がじわりとあふれました。。

あんなに繊細なのに、空間全体に広がって、その存在感たるや、、、

 

私の先生が、いつだったか「巨大なピアニッシモ」という言葉を使っていましたが、

「こういうことなのか」と思いました。

ピアノは、P(ピアノ)やPP(ピアニッシモ)がもっとも難しいですが、

あのような境地に、生きている間に果たして自分はたどり着けるだろうか?とか、

聴きながら、圧倒され、感動で涙し、自分自身を振り返り、、

など、様々なことを思いました。

また、先生が「楽しいだけではピアノは弾けない」とおっしゃっていたことを思い出しました。

当時は「楽しく弾いちゃダメなの?何故??」と、軽いショックを受けましたが、

自分が目指している演奏は「楽しい」のその先なのだと思ったら、

先生がおっしゃった言葉の意味が、今ならわかるような気がします。

 

 

 

 

とにかく、ただただその「音色」に耳を委ねている幸福感は言葉で表せないくらいでした。

 

改めて、やっぱり私は「人」が見えない演奏が好き。

そして、私にとってのピアノの魅力はP(ピアノ)やPP(ピアニッシモ)。

響きの操り方がとても人間技とは思えなく、

あのような演奏を目の前で聴けたことに感謝です。

人生で忘れられない演奏会のひとつとなりました。